私の出会いに溢れた4年間は、いつも安価なスーパー銭湯(桑園)が舞台だった。その日も、サークルで知り合った同期とともに私は湯船に浸かっていた。確か5月ごろだったと思う。のぼせやすい私は、大浴場に面した窓際のスペースに腰掛け、熱った体を冷ましていた。彼が「記事書いてみない?」と問いかけたのは、そんな時であった。正直頭もぼんやりしていたし、活動内容もあまりよく分からなかったが、湯上がりのアイスクリームを持ちかけられた私は二つ返事で加入を決めた。
それから約2ヶ月後、誘ってくれた彼と初めての取材に出かけた。エレクトーンサークルの取材であった。音を出すことさえままならない私を尻目に、彼は華麗に演奏した。取り柄の少ない彼の唯一の取り柄だからなどという新米記者とは思えないような傲慢な思い(本当にすいませんでした)を持ってしまったが、実際のライブにも参加できたし、代表の熱い思いも聞くことができたので、ひとまず成功だろう。
そんな記念すべき初取材を経て、今まで沢山の人に出会い、記事を書いてきた。アイス1つの決心であったが、その決意が溶けることはなかったし、原稿が真っ赤になるほど訂正をくれた先輩も、あの頃のアイスほど甘かった訳ではなかったが、本当に面倒見の良い最高の先輩だった。湯上がりのアイスを提案してくれた彼に、本当に感謝している。多分湯上がりのコーヒー牛乳やフルーツ牛乳を持ちかけられていたら、私は加入していなかったからだ。
気の利いた後輩が卒業間近の私にあいさつを書かないかと提案してくれたので、今筆を取っている。私がJagaJagaに所属していた2年間で、偉大な先輩方のほとんどが卒業したし、私に加入を持ちかけてくれた彼も水産学部生として、函館に行ってしまった。でも桑園のアイスはあの頃と同じように美味しいし、アイスで釣られた私とは比べ物にならないくらい優秀で熱意を持った後輩も、加入してくれた。「アイス」べきたくさんの人に支えられて、ここまで来ることができた。決して人生が甘くないことは知っているし、時には熱い湯船のような場所で歯を食いしばらなけれならないこともきっとあると思う。でも湯上がりのアイスの美味しさやひんやりとした幸福感を、それさえ忘れなければ頑張れそうな気がする。JagaJagaが出した記事の一つ一つが、皆さんにとっての湯上がりのアイスのような存在でありますように。
本当にこここまで読んでくれた皆さん、ありがとうございました。これからも末長く。
【編集長・永津篤史】