ヤーマン
何気ない光景に驚きを覚える瞬間がある
キャンパス内の緑の豊かさに無理にでも心を奪われる初夏の昼下がり
「Japanese Management」というクラスに出席するため国際本部に足を踏み入れる
気づけばいつも少し遅刻して入るから一番前しか席が空いていない
「Japaneseは時間守るんだろ?』
一緒に遅刻してきたインド人に茶化された
授業の冒頭でいつものようにピーター先生が聞く
「Does anybody want to work at Japanese company?」
日本の就職活動や終身雇用を学ぶにつれて手を挙げる者の数は次第に減っていった
今日はついに誰の手も挙がらなかった
お決まりの”くだり”の完成に先生と学生から小さな笑いがこぼれた
しばらくしてピーター先生が話を次に移しても、最前列の席から後ろを振り返り続けていた
みんなの顔をジロジロ順番に見渡していく
パーティーグッズみたいな鼻をつけた白い肌や派手に髪を編みこんだ黒い肌、線のような細い目をしたその中間色が目に入る
肌の色も宗教も言語も違う大勢のヤツらが、当たり前のようにそこに座っている
もちろん今日は武器を持っていない
きっとこの光景を想像することすらできなかった時代が存在したことを思うと、微かな感動を覚えた
ある時、Englishを使うってことにとてつもなくデカイ意味があるって気づかされた
「日本に興味があって日本語を覚えたくて来たけど、私を避けるニホン人とどうやって友達になればいいの?」
「サークルに見学しに行ったけど僕に話しかけてくる者は誰一人いなかった、ニホン人同士は楽しそうに会話してたのにね」
「日本に来て一番ガッカリしたことは、ニホン人たちが私たち”ガイジン”との交わりを避けること」
1年間の海外放浪から帰国した今年から国際本部に足を運ぶようになって、留学生たちの悲鳴を耳にするようになった
実際毎日のように彼らに会って話をするけど、一部の留学生をのぞいて日本人学生との交わりが多くある者はいないようだ
ほとんどゼロの者さえたくさんいる
自分たちが無意識のうちにJapaneseってヤツらはこんなに冷たく見られていたのか
もちろんニホン人と交わりたいという期待を裏切られた彼らの気持ちを、日本人たちはつゆも知らない
話をキャンパスの外に広げよう
もしいま、人類の局面を世界中の多くの人たちが過去の戦争や差別を憎み
言葉を共有し文化を認め合うことで、少しずつひとつになろうとしていると信じるとしたら
ニホン人ってヤツらはその輪に入る気がないという意思表示を無意識のうちに発信していたとしたら
手を広げて待っている者たちに対して背を向けてしまっているのかもしれない
大袈裟な妄想だよね
でもこういう世界を本気で見たいと願う仲間たちにいっぱい出会ってきたんだ日本の外で
ニホン人の多くが言い訳とする言葉の問題
いま地球上で、”Englishを世界中の人たちが共有する”っていうひとつの流れが生まれている
ごく合理的かもしれない、人類史におけるこの展開をあえて喜びとともに奇跡と呼ぶ
「”ことば”は最高のオモチャだ」
ほとんどの人が毎日の会話で、たまにはみんなで歌って笑ってる
交わらなくてもいいかもしれない人間たちに、共通のささやかな遊びを与えてくれる
これがあればオレたちはつながれる
Englishという自分たちがないがしろにしてるものによって何が始まるか、生まれるのか見てみよう
もう時代に合わない日本の英語教育を嘆いていても意味がない
そして色んな土地から来た人間と、異なる文化や言葉を持つ人たちとつながった瞬間を過ごせた者は、あの小さな感動や人知れぬ喜びを知っている
きっとカネじゃ買えないやつをいっぱい受け取ることになる
そこに落ちているものをまだ知らないなら、ギャップイヤーをとって日本の外に自分の身を投げ出せばいい
自分たちでその感動やその意味を感じに行く大きな価値がある
Englishを使わないことによって伝わる残念な悲しいメッセージ
Englishを使おうとすることによる言葉を超えた強く優しいメッセージ
気づいてないかもしれないけど、あるのかもね
最近感じたのはそういうこと
それでも障壁となっているものがただの言葉なら喜ぶべき
本当はシンプルに越えられる、軽い気持ちで超えるべきハードルだから
“ことば”はただの遊び道具
難しい意味を持たせて、ことばの持つ純粋さを奪っちゃダメだよ
”コテコテの日本語なまりでハローって挨拶しよう”
Good luck, see you again.
興味がある人には、国際本部の授業に出ることをオススメ。日本に来た留学生たちが待ってる。基本履修登録しなくても参加できる。聴講といって聞くだけの参加スタイルも可能。