では早速、インタビュー始めていきます。
高知県で独立リーグの地元球団職員を経て、大谷翔平選手の入団と同年度、そのユニークな経験によりプロ野球球団の通訳という狭き門を突破、入社されました。
そんな青木さんは現在北海道日本ハムファイターズで通訳や主に広報の業務をされているそうです。
地球上にいる人間で、同じ人なんているわけがない
―広報とはどんな仕事なのでしょうか。
「ファイターズをどれだけの方に知ってもらい、どれだけの方に球場へ足を運んでもらえるか。第一に野球があることは確かですが、野球以外の様々な活動を通じて選手と地元・北海道を繋げることも大切だと思っています。マスコミさんには取材をしていただいている感覚です。」
―具体的にはどのようなアプローチをしているのですか?
「選手の特長を生かしたアプローチが必要だと思っています。例えば、子供が好きな選手もいれば、社会貢献に興味を持つ選手も少なくはありません。個々に合うモノを創出することが大事だと思っています。」
―なるほど。それぞれの選手に合った方法で売り出していくと。
「他人と比較して自分は劣ってるとか思う必要がないと思うんです。その方法を見つけるためにはコミュニケーションをとるということがやっぱ大切になってきますね。」
―コミュニケーションを通じてそれぞれの選手が持つ“色”を見ることが、広報の仕事で大事になってくるんですね。
気持ちがあれば、“なんでも”できる
オーストラリアの高校を卒業後、メジャーリーグでプレーすることを志した青木さんは、アメリカにわたり2年間挑戦し続けました。
いくつものバイトを掛け持ちしてお金をつくり、その合間にも練習をしなければならない中、アメリカの大学500校近くに履歴書や自身が練習をする動画を送ったそうです。大学進学は叶わなかったものの、サマーリーグに参加するために海を渡ります。
その後もメジャーリーグを目指してアメリカで一人挑み続け、2年後高知FDに入団するため帰国しました。
―高校生で単身オーストラリアに渡り、卒業してさらにアメリカに挑戦。相当な熱量が必要な気がします…。なぜ、そんなに走り続けられたのでしょうか…。