きっかけは“牛”
はいここでご説明します。青木さんはアメリカでの挑戦を終え、帰国後の高知時代に牛を飼っていたことがあるんです。当時所属されていた独立リーグの球団高知ファイティングドッグス(紹介記事『高知ファイティングドッグスはなぜマニー・ラミレスらの招聘に成功したのか?』)が2011年に打ち出した前代未聞のプロジェクト、牛を飼う。そこに至った経緯は本になっているので、興味のある方はどうぞ(喜瀬雅則『牛を飼う球団』)。
とにかく、牛専属(牛飼育)担当に任命された青木さんは、一頭の子牛が肉にされるまで、見届けたのです。
―本には“牛を飼う”という経験をされたと書いてありましたが、それってどんな感じですか?
「知らないことがあり過ぎたんです。無知からのスタートでした。牛も犬のように感情が豊かだったんですよ。実は。泣いたりするんですよ。」
―へえ!泣くんですか!?一頭の牛と毎日過ごしていたからこそ分かったことですね。
「(屠殺場へ運ばれる)JAのトラックの中で、察したかのように涙を流したり、餌をあげるときとか、じゃれてきたりして…。それに、屠殺場で働いている方がいないと我々は肉も食べられない。本当に色々な苦労がある。
目を背けてはいけない現実があることを知らないで生きていた。それも好きな野球しかしないで。色んな経験をして、野球をしていたことが、ホントに幸せなことだったなって思いましたね。その時、社会に出て、働き始めたばかりで色々な悩みがあったから余計に。
そういう“感謝”とか“幸せ”という感覚って、人からの強制や努力して気づくことではなく、経験して自然に感じるものなんだなって思いました。」
―「自分は生かされている」という感謝や幸福感にも似た感覚を得ることができた経験。
それは現役引退で小さいころからの“プロ野球選手になる”という夢を自らあきらめなければならなかった当時の青木さんに、何を伝えるものだったのでしょうか。
「野球は一人ではできない。相手チームもいないとできないですよね。チケットを買って球場に足を運んでくれるファンの方。自分の人生の一部を犠牲にしてでも応援してくれるファンの方がいなければ、野球なんてできないわけですし。
そうやって自分は生かされているんだなって思う。そう思えたら、自分が苦手としていることも、くよくよしている場合じゃないなって、思えるようになりました。」
―それでもやっぱり、苦手な人と対峙するのは難しいです…
「だれにでも苦手な人っていますよね。自分のこと嫌いなのかな?っていう人も。たとえ一度はやり過ごすことができたとしても、そういう人ってまた現れるんすよね。」
そんなとき青木さんは、「おもしろいなって思うんです。この(苦手だ!っていう)感覚また来たなって。自分が成長するチャンスだなって。だって、自分が変わらないと、待ってても人が変わることなんてまずないって思った方がいいです。」
人生は一回なので
―でも他人の評価を気にしたり失敗を恐れたりすると、つい“やらない”ままにしがちなんですよね…
「楽しく生きていないと損だなって。だって明日死ぬかもしれないですし。ほんとに。そういう“危機感”というか、自分は今どれだけ幸せに生活ができているかって。当たり前のようで当たり前ではないということですよね。
そう考えると、物事を広く客観的にみられるようになるというか、周りにどう思われてもいいかって。ただしそれは、(周りがどう思っているかについて)鈍感であることとは違います。周囲に興味を持つことが大事なんです。」
―わかったうえで、あえて気にしない。できそうな気がします。周りの評価もよい刺激になることもありますもんね。
「自分のやりたいことが分からない」というのは、しょうがない
―今、自分のやりたいことが分からない、という学生が多いように思うのですが、どう思いますか?
「先ほど話したことに付随しますけど、それは自然に感じるものだし、現時点で思えないならそれはしょうがないですよね。人に会って話を聞いたり、いろんな職業を調べてみること。
そのまんま、その人になる必要はないんだけど、その姿を通して、自分のやりたいことも見えてくるんじゃないですかね。」
可能性は自分で見出すもの
「出来上がっているものを代弁するのは、ほんとに誰でもできることですよね。」と語る青木さん。広報のお仕事は、選手の一人ひとりの個性からそれぞれにあった表現の仕方を考えるそうですが、一般人には広報なんてついてませんよね。
(ここからは少し私見なのですが、)そうだからこそ、自分の可能性を見つけるのは自分でしかないのではないでしょうか。出来上がっている自分などどこにも落ちてはいないのですから。
毎日“当たり前”のように通り過ぎてることに目を向けてみること、人と話してみること、あらゆる事象から価値を見出してみること、それが大事なのでしょう。(私見おわり)