北海道にいてもロンドンにいても変わらないこと
―その充実感というのは白糠町や音別町にいた頃と違いはあるのでしょうか。
「白糠や音別での取材とはまた違った充実感ですけどね。あの時はダイレクトに反応が来ましたから。全道版に小さく出るより、地域版で大きく書いてもらったほうが反応はよく見える。ただ、目撃者としてありたいというのは変わらないところですね。見てみたい、知りたい、どうなっているんだと。たぶん新聞記者なら誰でもそうだと思いますが。」
―目撃者としてありたい、というのが舟崎さんのジャーナリストとしての原点ということでしょうか?
「そうですね…。まあ先ほども言ったように、『世の中をよくする』ということを心においてやっているジャーナリストもいますけど、自分がそうかと言ったら、それは偽善になってしまうような気がします。私はただ、世の中の仕組みを知りたいという好奇心でこの仕事をやっているといったほうが近いのかもしれません。好奇心といってもそんな下世話な話ではなく、例えば、今なぜ格差ができているのか、どうして格差が生まれてしまうのか、それを私は知りたいんです。そのスタートは1980年代のサッチャリズムであり、アメリカのレーガンであり、当時の日本の中曽根さんなりのときに、経済的な思想が変わったんですよ。その主流が。そこから全部始まっているんですよね。新自由主義、ネオリベラリズムというんですが、政府の役割はどんどん小さくし、頑張れば金持ちになれる。優秀な人はどんどん頑張ってお金を儲ければいいじゃないかと。できない人はまあそれなりにという。それが今30年以上たってもつながっている。じゃあその中でどうサバイバルするのか、というのがずっと私の中にあって。
一つ言えるのは、この格差社会はやはりおかしいんだと思うんです。そこをどう修正するのか。それと同時に、北海道などの地方も何でも国に頼ってしまうのではなくて、自力でサバイバルしていく逞しさも、地方には必要なのではないかと思ったりもしますね。やはりそれは格差をなくすための両輪になるので。格差をなくすためには国の仕組みも変えないといけないし、人々ももっと努力する。例えばヨーロッパでいえば、アイルランド。アイルランドは人口も面積も、北海道とほぼ同じです。あの国は法人税を下げてどんどん企業を誘致したりIT業界に融資したり投資したりしていて、いろいろと考えているんです。それは金儲けと呼ぶより、サバイバルのためなんですよね。そういったことが北海道にとってヒントになったりするのではないかと。」
―でも、格差はゼロであるべきということではないですよね?
「持っている能力は人それぞれだから、それぞれに応じたものがあるのでしょうけど、今の社会は格差が大きすぎると思います。そういうところは公的に救っていかないと。北海道でも今、多くの市町村で過疎化が進んでいますけど、それはヨーロッパでも同じことが起きていて、これはやはりおかしなことだと、地方の目線から伝えたかったし、少しは伝えられたのかなとは思っています。」
ルーティーンのない仕事、新聞記者として生き抜くコツ
―新聞記者というお仕事についてお聞きしますが、体力的にも相当大変だというイメージがあります…。実際のところはどうなのでしょうか?
「この仕事はルーティーンがないんですね。仕事に強弱があって、ある時は世の中があまり動かない時があったり、一方でその何十倍もの出来事があったりする時期もある。9時5時で終わる職業とは違って、平たんではないですね。そういう意味では飽きないかもしれないですけど、この仕事はただお金を得る手段としてやるには負担は大きいと思います。私もね、それなりに自信をもって入社したんですが、もうすぐ木っ端みじんになりました。」
―えっ!例えばどんなことで…?
「いや、何にもできないんですよね。それは新人だから、というだけじゃなくて2年目になっても3年目4年目になっても自分は使い物にならない感じがして、だって毎日のように怒られるんですよ。今はどうかわからないですけど、当時は上司に毎日怒られて。そりゃ自信なんかなくなるよね。たまに、できなくてもごまかして逃げたくなる時もあったりして。でもあるとき上司が、『毒を食らわば皿までだよ』と私に言ったんです。大変なことがあったときに、うまく切り抜けよう逃げようとか思ったらもっと大変なんだ、と。そういう上司の言葉が糧になったり、反対にあまりに怒られ続けると、自分は何者でもない、という風に開き直りができるようになったり。よしやってやるぞ、という反逆精神が沸いて来たりすることもありましたね。ただやめようと思ったことは一度もないですね。この仕事のいいところは、一回、もっといいのは連続で何回か特ダネを抜くと一気に評判が変わるんですね。もちろんそのためには地道な努力が必要だったりしますけど。こういうのは役所で働く場合とは違うところじゃないかと思いますね。」
―地道な努力というのは、具体的にどういうことですか?
「例えば政治でいえば、いろんな政治家と飲みに行くとかね。当時は野田首相の時だった。そういう人たちと飲みに行くと結構面白いんだよね。2、30年くらい永田町で秘書をやってる人と仲良くなってのみに行ったとき、その人が、『俺わかるんだけど、新聞記者で優秀で生き延びる奴には二通りいて、一つは勘が鋭い、もう一つは勘がそうでもなくてもひたすらコツコツと努力していける人のふたタイプしかいないんだ。』と言っていてね。普通の人にはこう見えるけど、その人は違ってみられるとか。これは生まれ持ってあるものなんじゃないかなと。何が問題か見つけて切り込んでいける人。コツコツやる人というのは、手抜きをしないでいろんな人に話を聞きに行く人ですね。人脈を広げていく人。勘がある人は、この人に会ってこれを聞いていけばわかるな。共犯者の原理で、こういう人事がある、という情報をつかんだ時に、『まだ書かないでくれ!』と言われて、この人の関係はもうどうなってもいいから書く、っていうんじゃなくて、やっぱり人対人だから、遺恨を残さないほうがいいですよね。そこは交渉です。譲歩させて譲歩させて最後に一歩引く!」
―なるほど!勉強になります!!ところで、ヨーロッパでの取材の場合はどうなのでしょうか?難民の取材などもされているとお聞きしましたが、たとえば、それを通して知った現状に対して、取材以上の行動を起こしたくなることはないのですか?
「それは、もちろんそういう支援をするということは素晴らしいことだと思います。先日ギリシャのレスボス島に取材に行った時は、漂着した難民を支援しているNGO団体に取材をしました。レスボス島には対岸のトルコから難民がやってきていて、ひどいときには毎日のように20人も30人も岸まで渡り切れずおぼれて死んでいったそうです。そういう光景を目の当たりにしているのに、見て見ぬ振りができない、ということで活動を始めたそうです。ただ、記者としてやっていくなら中庸の姿勢で物事を見ていかないと、いろいろと見聞きしているうちにやはりどこかで無理が来ると思います。これは記事の客観性を保たなければいけないという話を抜きにしても、いえることだと思います。」